無秩序型愛着スタイル:好かれた瞬間に逃げたくなる
編集部 · 公開2026-06-20
好かれていると伝わった、まさにその瞬間に、なぜか逃げ出したくなる。関係がこじれたわけでも、相手に何かされたわけでもない。むしろうまくいっている。それなのに、近づきたいはずの相手に、自分から素っ気なくしてしまう。返事を遅らせたり、急に距離を取ったり。その場ではほとんど反射で、止められない。
もしこの感じに覚えがあるなら、それはあなたがおかしいからでも、気持ちがどっちつかずだからでもないかもしれません。少し、いっしょに見ていきましょう。
無秩序型はタイプではなく場面の名前
「無秩序型の愛着」という言葉を、今日はゆっくり見ていきます。ネットで自己診断のように使われることが多くて、「自分は無秩序型なのかな」と当てはめにいく入り口になりやすい言葉です。でも、四六時中そうというより、「特定の誰かの、特定の近さ」になった瞬間に、近づきたいのと逃げたいのが立ち上がる——そういう”場面”の話として読むほうが、実態に近い。難しい定義は後回しにして、まず具体的な場面から入ります。
たとえば、こんな経験はないでしょうか。ふだんはわりと平気なのに、たまにこういうことが起きる。仲良くなって、相手がちゃんと自分のほうを向いてくれている、好かれているなと感じた瞬間に、急に「あれ、なんか怖いな」という気持ちが出てくる。それまで連絡もまめに取っていたのに、そこから返事を少し遅らせたり、ちょっと素っ気なくしたりする。
本心では離れたいわけではなく、むしろ近づきたい。なのに近づけるとなった途端に、自分から間を空けにいく。あとから「なんであんなことをしたんだろう」と思うけれど、その場ではほぼ反射でやっている。そしてふと振り返ると、毎回同じところで起きている。深刻に困っているわけではないけれど、なんでこのタイミングなんだろう、というのが気になってくる。
この「あれ、なんか怖いな」が出てくるタイミングに、心当たりのある方は少なくないと思います。しかもそれは、関係がうまくいっていないときではなく、むしろうまくいった瞬間だ——ここが肝心なところです。嫌われたとか突き放されたとかなら、まだ理由がわかりやすい。でもそうではなく、ちゃんと向いてくれた、好かれていると伝わった。その安心していいはずの瞬間に、逆に警報が鳴る。
この反射は、その人が弱いとか矛盾しているとかではありません。近さそのものに対して、体が先に動いているのだと思います。近づきたい気持ちで進んでいるところに、近さが一定を超えると、近づいたら危ないというもう一つの感覚が立ち上がる。だから「離れたいわけではないのに間を空けにいく」という、一見ちぐはぐな動きになる。本心は近づきたいほうで合っていて、ただ、近さが一定を超えた瞬間に、もう一つのスイッチが入る。
それと、「毎回同じところで起きている」と気づけるのは、けっこう大きいことです。四六時中こうなわけではなく、相手との距離がある閾値を越えたとき、という特定の場面に紐づいている。だとすると、これは「自分はこういう人間だ」という性格の話というより、「この近さになると、この反応が出る」という場面の話です。そのほうが、関係のなかで実際に起きていることに近いし、あとで振り返ったときの「なんであんなことをしたんだろう」とも噛み合う。
この「近さが深まると、近づきたい気持ちと、近づいたら危ないという感覚の両方が立ち上がってくる」という捉え方は、研究の側でも近いことが言われています。成人の愛着を不安と回避の二つの軸で見ると、どちらも高い人は、近づきたい気持ちと拒まれる怖さを同じ相手に抱えやすい——接近と回避の両価性として描かれることがあります(参考: 1, 2)。だから「近づきたいのに引いてしまう」のは、気持ちがどっちつかずなのではなく、二つが重なって立っている——そう見たほうが実態に合うのかもしれません。

大事な相手ほど早く警報が鳴る
この「場面の話として見られる」という捉え方に、ほっとする人は少なくないと思います。ずっと「自分はこういう人間なんだ」と思い込んできた人ほど、なおさらです。
ここで一つ、気になってくることがあります。そのスイッチが入る閾値は、相手によって全然違うのではないか。すごく好きで大事だと思う人ほど、早めにスイッチが入る。逆に、別にいなくなってもいいかな、くらいの相手だと平気で、むしろ自分からぐいぐい近づけたりもする。順番が逆のように思えます。大事な人ほど近づけなくて、どうでもいい人ほど近づける。これはやはり、大事だからこそ怖い、ということなのでしょうか。
その「順番が逆」という感覚は、むしろ筋が通っています。逆なのではなく、それで合っているのです。どうでもいい相手なら、近づいてうまくいかなくても、失うものがそれほどない。だから警報も鳴らない。自分からぐいぐい近づけるのは、勇気があるからというより、賭けているものが小さいからです。逆に、すごく好きで大事だと思う人に近づくということは、それだけ「失ったら効く」場所に自分を置くことになる。だから同じ近さでも、相手が大事なほど早くスイッチが入る。閾値が相手によって違うというより、大事さに応じて警報の感度が上がっている、と考えると筋が通ります。
だから「大事だからこそ怖い」というのは、その通りです。ただ、これも性格の欠陥のように受け取る必要はありません。大事な相手の前でいちばん警報が鳴るというのは、裏を返せば、近さをちゃんと本気のものとして扱っているしるしだ、とも言えます。どうでもよくないから怖い。その怖さが出てくる相手は、自分にとってどうでもよくない相手なのです。ただし、その怖さは自分の側の警報であって、相手が安全だという意味ではありません。怖さの出どころが”近さそのもの”なのか、“相手の実際の言動”なのかは、分けて見る必要があります。後者なら、その怖さはむしろ離れたほうがよいサインのことがあります。
「大事な相手ほど早くスイッチが入る」というのも、愛着の安定感が純粋に自分の内側だけで決まるものではない、という話と噛み合います。安全に感じられるかどうかは関係ごとに変わりうるもので、相手がどういう人か、関係がどう噛み合うかが効いてくる、とある研究で報告されています(参考: 3, 4)。だから同じ自分でも、相手と近さによって出方が変わるのは、自然なことなのです。
観察のとっかかりとしては、関係がうまくいった直後ほど、そして相手を大事に思っているときほど、この警報は出やすいようです。そう見ておくと、「いま自分はどの場面にいるか」を捉えやすくなります。
追いながら引く動きは不安型でも回避型でもない
ここで一つ、よくつまずくところに触れておきます。
世の中では、愛着のタイプは「不安型」「回避型」と分けて語られることが多い。不安型はもっと近づきたくて追いかける、回避型は距離を取りたくて引く、というように。でも、ここまで見てきたのは、その両方が同じ相手の前で出ている感じでした。「ずっと追いかける」だけの人や「ずっと引く」だけの人と、何がどう違うのか。そこを場面で分けて見ていきます。
言われてみると、両方やっている、という覚えはないでしょうか。引いているのに、引いたら引いたで「このまま離れていったらどうしよう」と今度は不安になって、結局また連絡したくなる。引くだけでも追うだけでもなく、同じ相手に対して行ったり来たりしている。そして、ここで気になるのは、これが相手からはとても分かりにくいことです。こちらは近づきたいのに素っ気なくしているわけだから、おそらく「嫌われたのかな」と受け取られている。本心と逆の信号を送っている。これは、相手にはどう見えているものなのでしょうか。
おそらく、いちばん見えにくい信号を送ってしまっています。近づきたくて素っ気なくしている、というのは、外からはまず読めません。相手に見えているのは「素っ気なくなった」という事実だけで、その下に「本当は近づきたい」が隠れていることまでは届かない。だから相手は手元の材料で解釈するしかなく、いちばん自然な読みが「嫌われたのかな」「冷められたのかな」になります。内側では近づきたい気持ちと引きたい気持ちの両方があるのに、外に出る信号は「引いた」一個だけ。中の二つが、外では一つに潰れて見えるのだと思います。
しかも、これがすれ違いやすいのは、ちょうど関係がうまくいった直後に起きるからです。相手からすると、いい感じだと思っていた矢先に急に距離ができる。余計に「何かしたかな」と戸惑う。そして相手も不安になって連絡を控えると、今度はこちらのほうが「やっぱり離れていく」と感じて、また引き寄せにいく。本心と逆の信号が、向こうの本心と逆の反応を呼んで、二人とも近づきたいのにすれ違う。そういうことが起こりやすいように思います。
ただ、これは「だから直さなければいけない」という話ではありません。ひとつ言えるのは、引いている動きが嫌いの証拠ではない、と案外そのまま言葉にできることです。「いま近づくのがちょっと怖くなって素っ気なくしちゃったけど、嫌になったんじゃない」と。完璧に伝える必要はありません。外に出ている信号が一個に潰れているなら、潰れていないことが少し伝わるだけでいい。ただし、戻すところまでが自分にできることで、それをどう受け取るかは相手の領分です。応答できる関係であれば、すれ違いの連鎖はほどけやすくなりますが、戻したのにほどけないとしても、それは戻し方の失敗ではありません。
「引くだけ」でも「追うだけ」でもなく両方が出る、という話ですが、研究では、不安の高さと回避の高さは別々の軸として測れる、という見方が測定研究で報告されています(参考: 1, 2)。そのうえで、不安が高い人は葛藤を強く知覚してエスカレートさせやすく、回避が高い人は葛藤の場面で引きこもったり距離を取ったりしやすい——という違いが、自己報告だけでなく観察者の評定など複数の手法で確かめられています(参考: 5, 6)。だから「同じ相手の前で、追う面と引く面が両方出る」のは、二つの軸がどちらも高いところで起きていると読めます。本心と逆の信号に見えるのも、内側の二つが外では一つに潰れて出てくるから、と考えれば無理のない説明です。
その場で気づけなくても後から戻せる
前章で触れた「嫌になったんじゃない、とそのまま言葉にする」という戻し方は、言うのは簡単でも、実際にはここがいちばん難しい。素っ気なくしているその瞬間に、「いま近づくのが怖くなっている」と自分ではっきり分かっているわけではないからです。多くの場合、あとから振り返ってようやく「ああ、あれはそうだったのか」と気づく。その場では言葉にできず、気づいたときには何日か経っていて、いまさら蒸し返すのもためらわれて、結局なにも言わずに流してしまう。こうした経験に心当たりはないでしょうか。その場できちんと言える人もいますが、後追いでしか気づけない場合はどうすればいいのか、と感じる方は少なくないはずです。
けれども、この「後追いでしか気づけない」というのは、むしろ自然なことです。その場にいるのは、近づくのが怖くなっている自分というより、ただ反射的に手が引っ込んでいるだけの自分だからです。リアルタイムで「いま警報が鳴っているな」と実況できる人のほうが、おそらく珍しい。気づくのが数日後になるのは、鈍いからではなく、その反応がそれだけ速くて自動的だからかもしれません。
ですから、その場で言うことを目標にしなくてかまいません。後追いで十分です。むしろ「いまさら蒸し返すのもなあ」と流してしまうところに、大きく使える余地があります。何日か経ってからでも、「この前ちょっと素っ気なくしてしまったけれど、あれは嫌になったとかじゃなくて」と戻すことはできます。その場で完璧に言えた言葉よりも、後から戻ってきてわざわざ言い直したことのほうが、相手にはかえって響くことがあります。流さずに戻ってきた、という事実そのものが伝わるからです。ここでも、戻すところまでが自分の領分で、それを受け取るかどうかは相手の領分だ、という線は変わりません。
そしてこれは、練習によって少しずつ前へずれていきます。最初は一週間後にしか気づけなかったのが、何度か振り返るうちに、三日後、翌日、とだんだん早くなる。やがて「あ、いまちょっと引きたくなっているな」と、その場に近いところで気づける瞬間が出てきます。ただしそれは結果であって、最初から狙うものではありません。いまは後追いで戻れているだけで十分です。気づけている時点で、もう同じところをただ素通りしてはいないからです。なお、ここで話しているのは特定の相手・場面に紐づく反応の戻し方で、それを超える重さのものは別に扱ったほうがよい領域です。これは次の章で触れます。
「その場では分からず、後追いでしか気づけない」というこの感覚は、回避的に動く反応が意識のかなり手前で働いている、という見方とも合致します。回避傾向の高い人は、ふだんは愛着に関わる情報を注意の段階で抑えていて、それが負荷の高い場面では抑えきれずに噴き出す、と、ある研究グループの一連の実験が示唆しています(参考: 7, 8)。つまり引っ込む動きは、考えて選んでいるというより、気づくより先に働いていることが多いようです。だとすれば、数日たってようやく言葉にできるのも、むしろ順当なことなのだと思います。
変わるが消えない反応と相談の線引き
ここからは、前章の流れを踏まえて、二つのことを補っておきます。
一つは見通しの話です。「だんだん早く気づけるようになる」というのは、この反応が一生固定されたまま変わらないものではない、ということです。とはいえ、明日には別人になれる、という類のものでもありません。では、この反応が変わっていくのは、どのくらいの時間感覚で起きるのでしょうか。そして、何が変われば「楽になった」と言えるのでしょうか。
正直なところ、何週間で変わる、というものではありません。「気づくのが一週間後から三日後、翌日へと前にずれていく」といった変化も、月単位、あるいは季節をまたぐくらいのゆっくりしたものとして起きます。しかも、一直線には進みません。前に進んだと思っても、特に疲れているときや、すごく大事な相手のときには、また一週間後に逆戻りすることもあります。ですから「もう治った」というゴールがあるというより、振れ幅がだんだん浅くなり、戻ってくるのが速くなる、と捉えたほうが実態に近い。
そして「楽になった」と言えるのは、反応が出なくなったときではありません。おそらく、反応そのものが完全に消えるとは限らない。そうではなく、引きたくなったときに「あ、いまあれが出ているな」と自分の中で名前がつき、その反射と自分との間に少し隙間ができたとき。あるいは、引いてしまったあとに自分を責める時間が短くなったとき。同じ反応が出ても、巻き込まれる度合いが減って、戻ってこられるようになる。そのあたりが、いちばん「楽になった」と感じられる変化です。
もう一つは線引きの話です。ここで描いてきた”場面の反応”と、専門家と一緒に扱ったほうがよい領域は地続きで、後者に入ることは決して珍しくありません。ここまでは「特定の相手の、特定の近さ」で出る反応として説明してきました。専門家と一緒に扱ったほうがいい領域かどうかは、二つの目安で見分けられます。ひとつは、ここまでの話が全部、誰と・どの場面で、と指させるものだったかどうかです。ただし、これは必要な目安であって、それだけで十分というわけではありません。もう一つは、反応の重さです。たとえば、それが場面から外れて、相手がいなくても恐怖や混乱がずっと続く。過去のつらい記憶が、いまここの関係に生々しく割り込んできて、目の前の相手の話ではなくなってしまう。自分でも止められない強さで、日常や眠りや仕事のほうまで侵食してくる。気持ちがその場から切り離されたように感じる。そうした強度・持続・自分では止められない感じが出てくると、これはもう「近さの工夫」だけで抱えられる話の外です。それは弱さでも、こじらせた結果でもなく、ひとりで関係の中だけで扱うには重すぎるものを抱えている、というだけのことです。専門家と一緒に扱ったほうがいい領域に入っている、というサインとして見てよいでしょう。むしろ、そこを切り分けられること自体が、自分を守る力です。
「もう治ったというゴールより、振れ幅が浅くなる」という見通しは、データとよく合います。成人の愛着には中程度の安定性がある、という報告があります(参考: 9, 10)。その一方で、固定した特性ではなく、短い期間でも約3割の人が分類上のタイプを変える、とも報告されています(参考: 9, 10)。これらは大人を対象にした研究です。測り方は異なりますが、乳児期から青年期を追った発達研究でも、「安全か不安全か」がおよそ77%は一致する一方で、つらい出来事が変化と有意に結びつくことが示されていて、安定と流動の両方が同時に観察されます(参考: 11)。ですから「変わらない固定の性質」でも「明日には別人」でもなく、ゆっくり振れ幅が変わっていくもの、と受け取るのが、いちばん実態に近いと言えます(参考: 12, 13)。
「同じ反応が出ても、巻き込まれる度合いが減って戻ってこられる」という変化のほうも、安全な感覚は文脈によって一時的に高められる、という実験の示唆と地続きです。安心できる関係の手がかりが与えられると、一時的に、関係への期待や自分への見方、人への思いやりが上向く、という報告があります。一回で固定されるわけではないけれど、繰り返しの中で少しずつ底上げされていく、と描かれることが多いのです。
タイプ探しから場面の観察へ
ここまで読み進めると、見え方がだいぶ変わってきます。最初のうちは、「自分はこういう人間だ」というところで立ち止まりやすい。引いてしまう自分がいて、それが自分の性格なのだ、と。けれども、そうではなく「この相手の、この近さになると、この反応が出る」という場面の話なのだと思えてくると、それだけでずいぶん肩の力が抜けます。
そして、大事な人ほど早く怖くなるのも、順番が逆なのではなく、大事だからこそ警報が鳴っている、という捉え方ができました。そう受け取ると、あの反射は「相手が自分にとってどうでもよくない」ことの現れとも見えてきます。ただし、くり返しになりますが、怖さの出どころが近さそのものなのか、相手の実際の言動なのかは、分けて確かめる必要があります。前者なら近さの工夫の話ですが、後者なら離れたほうがよいサインのこともあります。
地味に効いてくるのが、後追いでいい、というところです。その場で言えなければだめだと思っていると、いつも「もう手遅れだ」と流してしまう。けれども、何日か経ってからでも戻れますし、戻ってきたこと自体が相手に伝わることがあります。なくならないという点も、消すのではなく、出たときに「ああ、これだ」と名前をつけられて、自分を責める時間が短くなればいい、と受け取れます。そして、ここで描いた”場面の反応”を超える重さのもの——強く長く続く恐怖や、日常に侵食してくる混乱——は、ひとりで抱えず専門家と扱ってよい領域だ、ということも、もう一度添えておきます。
今日の話の芯は、最初に置いた一文に戻ってきます。無秩序型は「あなたを言い当てるラベル」ではなく、近づきたい気持ちと逃げたい気持ちが、近さが深まると同じ相手の前で立ち上がってくる、その”場面”の名前です。だから問いも、「自分は無秩序型か」よりも、「誰の、どの近さで、それが出るか」に置き換えられます。ここから先は、その怖さを性格の欠陥として読まずに済ませる見方、出てしまったあとに関係をどう戻すか、相手のパターンを行動で見立てる目といった具体に分かれて、続いていきます。
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