愛着スタイルは何種類?じつは「型」じゃなく度合い
編集部 · 公開2026-06-11
「愛着スタイル」を調べると、まず種類の話に行き当たります。安全型、不安型、回避型。いくつあって、自分はどれなのか——性格診断のように、ラベルを一つ貼って終わりにできそうな気がしてくる。
でも、いざ自分に当てはめようとすると、どこかうまくはまらない。診断では一つの型が出たのに、実感のほうがそれを裏切る。その「はまらなさ」こそ、この言葉のいちばん肝心なところです。
愛着スタイルは「型」ではなく不安と回避の度合い
最近、こんなことに気づいた人もいるのではないでしょうか。深刻というほどではない。ただ、自分は相手によって全然違う。仲のいい友達といるときはどっしりしていて、連絡が返ってこなくても「まあ忙しいんだろうな」で済む。ところが、ちょっと気になっている人、まだ距離が縮まっている途中の相手だと、急にそわそわしだす。既読がつかないだけで「なんかまずいこと言ったかな」と考え込む。前に診断クイズをやったときは「あなたは安全型」と出た。でも、いまの自分はどう見ても安全型じゃない。あれは結局どっちが本当なんだろう、と引っかかる。その場の相手で出方が変わるなら、「型」という言い方そのものがピンとこない——そう感じたことはないでしょうか。
その引っかかりは正しいのだと思います。むしろ、そこでつまずけたことのほうが、診断結果より精度が高い。愛着スタイルは、本当は「型」ではないからです。研究の世界でも、人を安全型・不安型・回避型といったいくつかの箱に分けるより、二つの度合いで測るほうが実態に合う、という見方が主流になってきています。その二つが、「不安」と「回避」。相手に近づきたい、相手に離れていかれるのが怖い、という方向の強さが不安。近づかれると重い・距離を取りたくなる、という方向の強さが回避。この二つは独立した別々のつまみで、それぞれ強かったり弱かったりします。診断で「安全型」と出るのは、平均すればつまみが両方とも低めだからでしょう。診断クイズは、いろんな場面をならして一個の数字にしてしまうので、そう出る。でも実際には、仲のいい友達といるときは不安のつまみがほぼゼロまで下がり、気になる人が相手だと同じつまみがぐっと上がる。同じ人の中で動いているわけです。だから「どっちが本当か」ではなく、どちらも本当。場面ごとの値が違うだけです。
なぜ相手で変わるのか。不安が上がりやすいのは、たいてい「まだ相手の反応が読めない関係」だからです。友達は何年もかけて反応が予測できるようになっているから、既読がつかなくても次が読める。気になっている人には、まだそのデータがない。だからわずかな手がかり、既読ひとつに重みが乗る。これは性格の欠陥というより、関係がまだ若いことの自然な反応に近い。だから「自分は何型か」を当てにいくより、「どの相手・どの場面で、自分のどっちのつまみが上がるか」を見ているほうが、ずっと使える観察だと思います。

この「二つの度合いで測るほうが実態に合う」というところは、実際に測定の研究が積み重なっています。いまいちばん広く使われている愛着の質問紙でも、「不安」と「回避」という二軸の構造が、英語圏の外でも複数の言語・文化のサンプルで繰り返し同じ形で確認されてきました (参考: 1, 2) 。安全型・回避型といった箱に先に分けるより、二つの軸の度合いとして捉えるほうが、文化をまたいでも安定して測れる。「型という言い方がピンとこない」という感覚は、測り方の研究のほうでも裏打ちがあるわけです。もう一つ、「診断で安全型と出たのに今の自分は違う」という引っかかりについて。幼い頃の養育者との関係を思い出して語ってもらう面接式の測り方と、いまの恋愛での自分を答える自己報告の質問紙とでは、測っているものがかなり別もので、両者の相関は平均してもごくわずかです (参考: 3)。「深いところに一つの本当の型」があって診断がそれを当てている、というより、何を・どの場面で測るかで出てくるものが違う。だから「どっちが本当」と一枚に決めにいく必要はない。これは測定のレベルでもそうなっています。
相手と場面で強さが変わる理由
つまみが二つあって、それぞれ場面で動く。「どっちも本当」というのは、少しほっとする話でもあります。ただ、ここで一つ引っかかるところが出てきます。関係がまだ若いから読めなくてそわそわする、というのはわかる。でもそれなら、時間が経って相手のことがわかってくれば、自然と落ち着いていくはずです。ところが、です。ある程度仲良くなった相手でも、そわそわが消えないことがある。むしろ近づけば近づくほど「失いたくない」が強くなって、前より些細なことが気になりだす。あれは何なのか。関係が若いから、では説明がつきません。
ここは、いいところを突いています。「読めないから不安」だけでは説明しきれない。別のことが起きているからです。さきほどは不安のつまみが上がる理由を「相手の反応がまだ読めないから」と説明しました。でも、つまみを動かす要因はそれだけではない。もう一つ、「その関係に乗せているものの大きさ」がある。読めなさの問題と、賭け金の問題は別なのです。近づくほどそわそわするのは、相手が読めなくなったからではありません。むしろ読めてきている。変わったのは、失ったときに失うものが大きくなったことです。どうでもいい相手なら、既読がつかなくても痛くない。失っていいからです。大事になるほど、同じ既読が「これを失うかもしれない」という意味を帯びてくる。だから近づくほど些細なことが効いてくる。これは関係が壊れているサインというより、賭け金が上がったサインに近い。
ここで、不安のつまみの正体が、さきほどより少し見えてきます。不安が高めの人は、ざっくり言うと「大事なものほど、失う側から先に想像してしまう」傾向があります。得ているものを数えるより、失う可能性のほうに目盛りが寄っている。だから関係が深まる、つまり手に入れるものが増える局面で、むしろ警報が鳴りやすい。普通なら安心材料になるはずの「近づいた」が、この人にとっては「失うものが増えた」に変換されるのです。だから、時間で自然に落ち着くとは限りません。落ち着くのは「相手が読めるようになる」ぶんだけ。「賭け金が上がる」ぶんは、時間では消えない。むしろ積み上がっていく。両方が同時に動くから、トータルでそわそわが減るかどうかは関係によって違ってきます。見るとしたら、そわそわした瞬間に「いま読めなくて不安なのか、それとも失うのが怖くて不安なのか」を分けてみることです。前者は時間が解いてくれます。後者は、その相手が自分にとって大事だという証拠でもあるので、消そうとするより、そういうものとして扱うほうが筋がいい。
「気になる相手のときだけ強く出る」というのは、観察研究でもけっこうはっきり出ています。愛着不安は、まだ関係ができあがる前の段階——絆がまだ結ばれていない、片思いやこれからの相手——でも機能していて、特定の相手への接近や、安全基地を求める行動を予測します。しかもその強さが、性的な欲求と同じか、それ以上のこともある。だから「気になる人にだけそわそわする」のは、おかしな反応ではなく、関係の入り口で愛着のシステムが立ち上がっているサインだ、という描かれ方をしています (参考: 4)。
「振れ幅」についても同じです。日常の場面を細かく追った研究で、愛着不安が高い人ほど、同じ相手の同じ振る舞いに対する感情の揺れ幅が大きく、逆に回避が高い人は揺れ幅が小さい、という結果が出ています。不安が高いと、その場その場の目標も強いけれど一貫しない——近づきたいのに距離も気にする、というふうにばらつく。だから「些細なことで気持ちが大きく動く」のは、性格の弱さというより、不安のつまみが上がっているときの動き方そのものなのです (参考: 5, 6)。
その度合いは一生このままなのか
ここまでは、不安のつまみが場面で動くという「横の揺れ」を見てきました。角度を変えましょう。多くの人がこの言葉に最初にぶつかる問いは、たぶん縦の時間軸のほうです。「じゃあ自分のこの傾向は、一生このままなのか」。診断で何型と出ると、それが変えられない判決のように感じてしまう。場面で動くのは分かったとして、もっと長いスパンで見たとき、この度合いそのものは動くのか。それとも、根っこは決まってしまっているのか。
これは、答えがはっきりしている部分と、そうでない部分があります。まず、出発点には個人差がある。生まれ持った気質、それから幼い頃にまわりとの間でできた「人ってだいたいこう反応してくれるものだ」という見込み。これがつまみの初期位置をある程度決めます。ここは確かに、自分で選んだものではありません。ただ、初期位置と、いまの位置は別です。診断が判決のように感じられるのは、その二つを混同しているから。手がかりは、案外身近なところにあります。気心の知れた友達が相手だと、不安のつまみがほぼゼロまで下がる。これは、つまみが動く証拠をすでに自分の中に持っているということです。固定されているなら、相手が変わっても下がらないはずですから。長い目で位置を動かすのは、結局のところ経験の積み重ねです。不安が高い人にとっては、「失うかもと思ったのに、失わなかった」という経験。回避が高い人にとっては、「近づかれても、重くされたり飲み込まれたりしなかった」という経験。これが一回ごとに、つまみの戻る先をほんの少しずつ書き換えていく。劇的には動きません。でも、何型かという札がはがれないものではない。だから縦の時間軸についても、見方は横のときと同じでいい。「自分は一生この度合いだ」と問うより、「どういう経験が、自分のつまみの定位置を下げてくれるか」を見ているほうが使えます。根っこが決まっているかどうかより、根っこから先がまだ動く、というほうが本当に近いのです。
この「安定はしているが、不変ではない」というところは、縦断研究がちょうど両面を示しています。乳児期の愛着の分類は、19年後まで中程度の安定性を持っている。ここは確かに安定です。その安定の仕方は、早い時期の表象がうっすら残り続ける、というモデルで最もよく説明されます。低リスクの環境で育った集団だと、安全か不安全かの一致率は77%ほど。ただ、ここからが大事です。リスクの高い環境で育った集団では、その全体的な連続性が見られなくなる (参考: 7, 8, 9, 10)。「だいたい残るが、環境次第で動く」という、まさに両面です。「初期位置と今の位置は別」という見立てと、よく合います。では何が動かすのか。これも調べられています。愛着の分類が変わるのは、虐待や、母親の抑うつ、家族のうまくいかなさといった、つらい生活の出来事と有意に結びついています (参考: 8, 10)。愛着の表象は、困難な経験に対しては脆いところがある。だから「経験が定位置を書き換える」というのは、良い側だけでなく悪い側にも効きます。裏を返せば、安心できる経験の側にも書き換える余地がある、ということでもあります。
「書き換わらない」と感じるのはなぜか
友達相手では下がっているわけだから、動かないものではない。少し希望が持てる話です。ただ、ここで一つ気になることが出てきます。「失うかもと思ったのに、失わなかった」という経験が定位置を下げてくれる——その経験は、ちゃんと積み上がっていくものなのでしょうか。心当たりはないでしょうか。そういう「大丈夫だった」場面があっても、その場では安心するのに、次に同じようなことがあると、わりとあっさり元の不安に戻ってしまう。前回平気だったことを、うまく覚えていられない。だから「経験で書き換わる」と言われても、自分はなかなか書き換わらないタイプなのではないか、と思えてくる。そこには、何か違いがあるのでしょうか。
その違いは、たぶん覚え方の問題ではありません。順番の問題です。「失うかもと思ったのに、失わなかった」が積み上がりにくいのは、自然とそうなるからです。不安が高めのときは、目盛りが「失う側」に寄っている。これは、その瞬間だけでなく、後から思い出すときにも効いてきます。記憶は、危ないと感じた経験のほうが、大丈夫だった経験より太く残るようにできています。痛い目を覚えておくのは生き延びるのに役立つ。でも、平気だったことには、覚えておく差し迫った理由がありません。放っておくと、「ヒヤッとした」は積み上がり、「なんともなかった」は薄れていく。あっさり元に戻るのは、書き換わらないタイプだからではなく、書き換える側のデータだけが消えやすいからです。
だとすると、やることは一つです。消えやすいほうを、消えないようにしてやればいい。安心したその場で流さずに、ほんの少しだけ立ち止まって、「いま自分は失うと思った、でも失わなかった」と、起きたことのほうをはっきり言葉にしておく。大げさにやる必要はありません。出来事と結果を一回つなげておくだけで構わない。やっているのは、放っておけば薄れる側の記憶に、わざと重しを乗せる作業です。それでも次に同じことが起きたら、またそわそわはするでしょう。そこは消えなくて構いません。狙いは、そわそわを起こさないことではなく、そわそわした後に「でも前回も大丈夫だったな」が前より早く出てくるようにすることです。不安への揺り戻しが浅くなり、そこから立ち直る速さが上がってくる。それが積み上がっているサインであって、ゼロになることのほうではありません。だから、書き換わらないタイプだと結論を出すのは、まだ早い。書き換えに必要な側の記録を、これまで残してこなかっただけかもしれない。そこは、やり方でわりと変えられるところです。
「ネガティブな側のほうが太く残る」というのは、感情の処理を調べた研究の知見ともよく合います。否定的な出来事に対して、愛着が不安定な人——とくに不安が高い人——は、安全寄りの人に比べてより強いネガティブな感情反応を示し、その経験をぐるぐると反芻しやすいことが知られています。逆に、ポジティブな出来事のほうは、安全寄りの人がよく噛みしめて処理するのに対して、不安定な人はむしろ小さく見積もってしまう。不安も回避も、それぞれ独立に、ネガティブ感情の強さを予測していました (参考: 11, 12)。「大丈夫だった側だけが薄れていく」というのは、本人の覚え方の問題というより、不安が高いときに起きやすい処理の偏りなのです。だからこそ、薄れる側にわざと重しを乗せる、という対処に意味が出てきます。
回避というもう一つのつまみと観察の限界
ここまでは「不安のつまみ」を中心に見てきました。回避のほうは、近づかれると重い、距離を取りたくなる、という形で少し顔を出しましたが、当人からは見えにくいぶん、扱いが違ってきます。それと、もう一つ。この二軸で自分を観察するのは、あくまで自分でできる範囲の話です。人によっては、つまみの戻りがどうしても効かない、しんどさが日常を侵してくる、という段階もある。自分で観察してやっていける範囲と、その先の線引きを、どう考えておくか。
二つは性質が違うので、分けて見ていきます。回避が扱いにくいのは、当人にとって警報の鳴り方が逆だからです。不安は「失うかも」とザワッとくるので、本人が苦しい。だから観察の入り口に立ちやすい。回避は、近づかれたときに重さやわずらわしさを感じて、すっと距離を取る——けれど、距離を取った瞬間はむしろ楽になります。警報が「不快」ではなく「安心」の顔をして出てくるのです。だから問題として浮かびにくい。気づくのはたいてい後から。相手が離れていったとか、いつも自分のほうが冷めるのが早いとか、結果のほうから逆算してやっと見えてくる。心当たりはないでしょうか。だから回避については、ザワつきを手がかりにはできません。代わりに見るなら、「楽になった選択」のほうを疑ってみることです。連絡を返さなくて済んでホッとした、予定が流れて内心安堵した——その安堵が、近づくのを避けた跡かもしれない。不安が「ザワッとした瞬間」を拾うのに対して、回避は「ホッとした瞬間」を拾う。入り口が裏返るだけで、やることは同じです。
もう一つ、自分でやれる範囲と、その先の線引きについて。これは度合いではなく、効き方で見ます。ここまで見てきたのは全部、「つまみが動く」「戻りが浅くなる」という前提の上に乗っています。手がかりを拾って、言葉にして、少しずつ書き換わっていく——その回路が、細くてもつながっているうちは、自分でやっていける範囲です。線を越えているサインは、強さそのものより、その回路が効かなくなることのほうに出ます。大丈夫だった経験をいくら積んでも一切戻らない。観察しようとすると、見るより先に飲み込まれてしまう。仕事や眠りや、関係のない場面にまで滲み出してくる。こうなると、「やり方」で動かす段階を超えていて、専門家の手を借りるところです。そこで人に頼るのは、観察に失敗したからではなく、回路そのものに手を入れる必要がある、というだけのこと。自分でやる観察と地続きの、その先の一手だと思っておけばよいのです。
回避が「別パターン」だというのは、感情調節の研究でもそのまま出てきます。愛着不安が他者への過剰な依存を伴う形で出るのに対して、愛着回避は「擬似自律」——自分は人を必要としない、というふうに距離で処理する形をとります (参考: 11, 12)。同じ感情調節の難しさでも、不安と回避では表れ方が逆向きになる。回避が「楽になる」顔で出てくる、という見立てとよく合います。そして「その先の線引き」について。ここは丁寧に押さえておきたいところです。愛着不安も回避も、抑うつや不安の症状と正の関連があることが繰り返し確認されていて、しかも一貫して不安のほうが関連が強い (参考: 13, 14)。ただ、これは「不安定だと必ず病む」という話ではなく、あくまで関連の傾向です。そして同じ研究群が、状況的に愛着の安全感を高めると、症状が出る可能性や強さが下がることも示しています (参考: 13, 14)。回路に手を入れれば動く余地がある。だから、戻りがどうしても効かない・日常が侵されるという段階で専門家を頼るのは、自分でやる観察の失敗ではなく、その安全感を立て直す確かなルートに乗る、というだけのことなのです。
型を当てにいかない見方を持ち帰る
並べてみると、整理がついてきます。多くの人が知りたいのは「自分は何型か」ですが、肝心なのはそこではありません。つまみは二つあって、相手や場面でそれぞれ動く。だから「どちらも本当」で、診断の札一枚で決まる話ではない。そう捉えると、あのそわそわも、近づいて賭け金が上がったぶんだと考えれば、むしろ大事な相手であることの証拠のようなものです。
そして、あっさり元に戻るのは書き換わらないタイプだからではなく、大丈夫だった側の記憶が自然に薄れていくから——ここが要になります。だとすれば、平気だった経験のほうに、自分で重しを乗せておけばいい。揺り戻しが浅く、立ち直りが速くなっていけば、それで前進です。ゼロを目指さなくていいぶん、肩の力が抜けるはずです。
見るときの入り口は、不安と回避で裏返ります。不安なら「ザワッとした瞬間」を、回避なら「ホッとした瞬間」を拾う。そして、いくら手がかりを拾っても戻りがまったく効かない、しんどさが日常まで侵してくる——そうなったら、そこは自分の観察の先にある地点で、専門家の手を借りていいところです。
型を当てにいくより、自分のどちらのつまみが、どの相手で上がるのか。それを見ていればいい。完璧に理解してから動きだそうとしなくていい、というのも、ここまでの話から持ち帰れるものです。
参考文献
- (2006) Internal and external validity of the experiences in close relationships questionnaire in an american and two dutch samples. The European Journal of Psychiatry
- (2007) A Spanish version of the Experiences in Close Relationships (ECR) adult attachment questionnaire. Personal Relationships
- (2007) The Adult Attachment Interview and self-reports of attachment style: An empirical rapprochement. Journal of Personality and Social Psychology
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- (2008) The attachment system in fledgling relationships: An activating role for attachment anxiety. Journal of Personality and Social Psychology
- (2011) Attachment-related affective dynamics: Differential reactivity to others' interpersonal behavior. Journal of Personality and Social Psychology
- (2008) Attachment styles and interpersonal approach and avoidance goals in everyday couple interactions. Personal Relationships
- (2002) Attachment Stability From Infancy to Adulthood: Meta-Analysis and Dynamic Modeling of Developmental Mechanisms. Personality and Social Psychology Review
- (2000) Continuity and Discontinuity of Attachment from Infancy through Adolescence. Child Development
- (2004) Continuity, discontinuity, and coherence in attachment from infancy to late adolescence: Sequelae of organization and disorganization. Attachment & Human Development
- (2000) Attachment from Infancy to Early Adulthood in a High-Risk Sample: Continuity, Discontinuity, and Their Correlates. Child Development
- (2009) Emotional reactions and regulatory responses to negative and positive events: Associations with attachment and gender. Motivation and Emotion
- (2024) Attachment orientations and emotion regulation: new insights from the study of interpersonal emotion regulation strategies. Research in Psychotherapy Psychopathology Process and Outcome
- (2022) The relationship between adult attachment and mental health: A meta-analysis. Journal of Personality and Social Psychology
- (2012) An attachment perspective on psychopathology. World Psychiatry