安定型愛着スタイルは、後から育つ
編集部 · 公開2026-06-24
安定型の話を読むとき、心のどこかで「自分には縁のない側の話だ」と身構えてしまう人がいます。落ち着いて人と付き合える人は、もともとそういう風にできている——だから、すぐ不安になる自分や、つい距離を取ってしまう自分は、その列には並べない、と。でも、安定型は「持っているか・持っていないか」で決まる資質ではありません。相手と小さなことを確かめ合い、そのたびに「だいじょうぶだった」を積み重ねていく中で、後からゆっくり育っていく反応のクセに近いものです。生まれ持った出発点は消えませんが、その先に何を重ねるかは、また別の話です。この記事では、安定型とは何かをほどきながら、その「育ち方」のほうを見ていきます。
安定型は生まれつきではなく育つ反応のクセ
連絡が返ってこなくても、たぶん忙しいんだろう、と流せる。相手と少し意見が食い違っても、それで関係が揺らぐ感じはしない。安定型と聞くと、どこか「もう完成している人」を思い浮かべがちですが、いざ自分を振り返ると、わりと落ち着いて付き合えているほうだ、と感じている人は少なくありません。
ただ、最初からこうだったわけじゃない。昔はもっと、返信が遅いだけでそわそわしていた。それがいつの間にか今みたいになっていて、何が変わったのか自分でもよく分からない。だからこそ気になります。「安定型かどうか」は生まれつきの話なのか、それとも何かの積み重ねなのか。
その「いつの間にか変わっていた」という感覚が、じつは芯を突いています。先に言ってしまうと、安定型は生まれ持った型ではありません。その「小さな積み重ね」の結果として、後から育っていく反応のクセに近いものです。
返信が遅いだけでそわそわしていた頃は、「返ってこない」という事実に、最悪のストーリーを自分で足していたのだと思います。嫌われたかも、冷められたかも、と。でも、それが何度か起きて、そのたびに「ただ忙しかっただけだ」と確かめられる経験を重ねると、脳が少しずつ慣れていく。空白は必ずしも危険じゃない、と。
ここでポイントなのは、それが一人で完結する話ではないことです。相手が遅れた理由を後でちゃんと教えてくれたり、こちらが不安を口にしたときに「ごめん、忙しかった」と返してくれたり——そういう小さなやりとりの一回一回が、証拠になっていきます。安定とは、その証拠が積み上がった状態のことなのです。
だから「自分は安定型じゃない」と感じている人も、何かが欠けているわけではありません。まだ確かめ合った回数が足りていないだけ、というほうが近いのだと思います。変わったのも、根性で性格を直したからではなく、たまたまそういう確かめ合いができる関係や時間の中にいた、ということなのです。
この「持っている/持っていない」ではない、という捉え方は、測り方の研究とも噛み合います。成人の愛着の個人差は、安定型・不安型といったカテゴリーの箱に人を振り分けるより、不安と回避という二つの軸の上で「どのへんか」という濃淡で見たほうが、データにうまく当てはまります。(参考: 1) だから「安定型という箱に入っているかどうか」より「その人が今どのあたりにいるか」という見方のほうが、実態に近いのです。
「小さく差し出して、返ってくるものを確かめる」というくだりにも、観察としての裏付けがあります。安全寄りの人のサポートのやりとりは、こちらが助けを求める→相手がちゃんと応じる→気分がほぐれる、という流れで回っている、という形で観察されています。(参考: 2, 3) こうしたやりとりが「育てる」というのは、はっきり証明された一方向の因果というより、安定という状態がこういう積み重ねと地続きに見える、ということなのだと思います。
一度育った安定は相手が変わっても持ち越せる
確かめ合いの積み重ねが大事で、一人で完結する話じゃない。そう聞いて腑に落ちても、ひとつ引っかかりが残ります。じゃあ今わりと落ち着いていられるのは、結局「いい相手にたまたま恵まれただけ」なんじゃないか。遅れたら理由を言ってくれる、不安を口にしても受け止めてくれる。そういう相手なら、落ち着けるのはこちらの何かというより、相手側の性質が大きいんじゃないか。そう考えると、少し不安にもなります。もし次に違うタイプの人と付き合ったら、また昔みたいにそわそわする自分に戻ってしまうのか。一度育った安定は、相手が変わっても残るものなのか。それとも相手ごとに、また一から積み直しになるものなのか。あなたも、こんなふうに思ったことはありませんか。
ここはとても大事な分かれ目です。まず、相手の性質が大きいというのは、半分はその通りです。確かめ合いは一人ではできないので、応じてくれる相手がいたことは間違いなく効いている。そこは正直に認めていい。ただ、だからといって「全部相手のおかげで、自分には何も残っていない」かというと、そうではありません。確実に残ったものが、ひとつあります。「不安を口に出してみる」という動きです。
昔は、そわそわしても黙って一人で抱えていた。でも今の関係の中で、不安を言葉にして、受け止めてもらえた。その「言ってみたら、ちゃんと返ってきた」という経験は、相手の性質である以上に、自分が覚えた振る舞いです。確かめ合いは、相手が応じる前に、まずこちらが小さく差し出すところから始まります。その差し出し方を、あなたはもう知っています。
だから次に違うタイプの人と付き合ったとして、最初は多少そわそわするかもしれません。それは普通のことです。一度育った安定が、相手が変わっても全自動で発動するわけではありません。でも、ゼロから積み直すわけでもない。一から確かめ合う必要はあっても、「確かめ方そのもの」は持ち越せるからです。一度たどった道は、次はいくらか早く進める。そんな感覚に近いかもしれません。
この「相手あってのもの」と「自分に残るもの」が両方ある、というあたりは、研究の見え方ともよく合います。カップルを長く追った観察では、片方の安心の度合いが動くと、もう片方にも伝わっていく。安心感はペアの中で互いに形づくられていく、という共調整の形で報告されています。(参考: 4, 5) だから「確かめ合えば必ず安定型になれる」と一方向で言い切れる話ではなくて、相手とのやりとりの中で、互いに少しずつ形づくられていく、という読み方のほうが正確なのだと思います。
その一方で、「相手が変わったら全部リセット」でもない。これにも裏付けがあります。早い時期にできた愛着のパターンは、そのあと消えてなくなるのではなく、核として残りつつ、その後の経験で書き換わっていく。直近の経験だけで全部決まるという見方より、早期の型が土台として残りながら変動していく型のほうが、データに合うと報告されています。(参考: 6, 7) 出発点は残る。でも、上書きの余地もある。その二つが、同時に本当なのです。
線を引くことも確かめ合いのひとつ
安定行動のうち、「線を引く」がいちばんピンとこない、という人は多いかもしれません。確かめること、不安を口にすることは、今の関係でわりとできるようになってきた。でも「ここから先は嫌だ」と伝えるのは、今でもちょっと身構える。それを言った瞬間に空気が悪くなるんじゃないか、相手をがっかりさせるんじゃないか、と先回りしてしまう。不思議なのは、不安を口にするのと線を引くのは、どちらも自分の内側を差し出す動きのはずなのに、重さがまるで違うことです。「寂しかった」は言えるのに、「それはやめてほしい」は出てこない。この二つは、何が違うのでしょう。同じ確かめ合いの一種なのか、それとも別の筋肉のようなものなのか。
同じ「内側を差し出す」でも、この二つは向きが違います。「寂しかった」は、自分の弱さを開いて、相手に近づこうとする動きです。だから言えると関係が縮まる感じがするし、相手も受け止めやすい。一方で「それはやめてほしい」は、自分の側に線を引いて、相手をちょっと押し返す動きです。近づくのではなく、間に境目を作る。だから身構えるのは当然で、臆病なわけではありません。
ただ、線を引くのも、結局は確かめ合いの一種です。「これは嫌だ」と伝えるのは、相手を遠ざけるためではなく、「この先も続けたいから、無理なく続けられる形を一緒に探したい」という申し出だからです。続ける気がない相手に、人は線なんて引きません。黙って離れるだけです。だから線を引くというのは、実はかなりこちら側に踏み込んだ確かめ合いなのです。
なぜ重さが違うかというと、線を引くほうは「拒まれる」リスクが一段大きく見えるからです。寂しさは受け止めてもらえなくても傷つくだけで済みますが、要望にはノーと返ってくる可能性がある。その「ノーが返ってくるかもしれない」のが怖いのです。でも、不安を口にして受け止めてもらった経験があるなら、線を引くのも、まったく同じ構造です。小さく差し出して、返ってくるものを確かめる。だから別の筋肉ではなく、同じ筋肉の、まだ使い慣れていない角度なのです。
いきなり大きな線を引こうとしなくていい。「今ちょっと疲れてるから、その話は明日でいい?」くらいの小さな線から試すと、これを言っても関係は壊れないんだ、と確かめられます。その一回が、次の一回を軽くします。
ただし、これは相手がある程度応じてくれる関係でのことです。小さな線を引いただけで責められたり、関係が壊れるかもしれないと本気で怖く感じたりするなら、それは線の引き方が下手なのではなく、相手や関係のほうを見直したほうがいいサインかもしれません。線を引いた相手から強く責められたり、関係がこじれることへの恐れが大きすぎる場合は、無理に確かめ合いを増やすより、距離を取ることを含めて考えていい場面です。
線を引くのも頼むのも「相手と確かめ合う」一種だ、という捉え方には、補強になる知見があります。パートナーは、不安や回避の傾向を持つ相手の揺れを和らげられる。これは「相手による下支え」と呼ばれ、その効果が報告されています。ただ、効く支え方は一律ではありません。不安が出やすい人には安心の言葉やはっきりした保証が、距離を取りたい人には自律を尊重した控えめな支えが効きやすい。相手の出方によって、有効なやり方が分かれるのです。(参考: 8, 9) だから「正しい確かめ方」が一つあるというより、相手と自分の組み合わせで、効く差し出し方を探っていく、ということなのです。
安定型は揺れない人ではなく上手に頼れる人
安定が「持ち越せる」という話は、心強いものです。でも、逆のことも考えてしまう。
自分が落ち着いていられる理由を「確かめ合いができたから」と整理すると、それは裏を返せば、いつも相手に確かめてもらおうとしている、とも言える。線を引くのが苦手なのも、結局は「相手の反応待ち」になっているからではないか。安定型と聞くと、「相手がどう出ても自分は揺れない」という、自立したイメージを抱きがちです。でも、よく考えてみると、むしろ逆で、ちゃんと相手に寄りかかれること、確かめさせてもらえることが安定なのかもしれない。だとすると、この「自立」と「寄りかかる」は、矛盾しないのでしょうか。安定型とは、強い人のことなのか、それとも上手に頼れる人のことなのか。
「逆かもしれない」というこの感覚のほうが、たぶん本当に近いのだと思います。「相手がどう出ても自分は揺れない」——あの自立したイメージが、いつも安定型と同じとはかぎりません。そういう「揺れなさ」の中には、本当に動じていないのではなく、揺れないふりをしているだけ、というものも混じっています。誰にも確かめず、寄りかからず、一人で完結しているように見える人の中には、「確かめたら拒まれるのが怖い」から先に閉じている、という場合もある。それは安定とは少し違う動き方です。もちろん、ひとりの時間が心地よくて距離を好む、というだけの人もいて、それ自体は何の問題もありません。ここで言いたいのは優劣ではなく、「閉じる」と「落ち着いている」は見た目が似ていても中身が違うことがある、ということです。
安定型がやっているのは、その逆の動きです。「ここは寄りかかっても大丈夫」と見極めて、ちゃんと寄りかかれる。頼ることを弱さだとは思っていない。だから「上手に頼れる人」のほうが、ずっと実態に近いのです。
ただ、ここで一つ補助線を引いておきます。「いつも相手に確かめてもらおうとしている」という心配は、寄りかかりが一方通行になっているときの不安です。相手にだけ差し出してもらって、自分は受け取る側に回っている、と。でも確かめ合いというのは、まずこちらが小さく差し出すところから始まります。線を引くのも、不安を口にするのも、ぜんぶ「自分から差し出す」側の動きです。
だから自立と寄りかかりは、矛盾しないどころか、同じことの裏表です。自分から差し出せる人ほど、安心して寄りかかれる。差し出す力があるから、寄りかかっても「飲み込まれる」感じがしない。線を引くのを練習したいと思うのは、まさにその「自分から差し出す側」に立とうとしているということ。それは相手待ちから抜ける動きそのものです。
この「揺れないふりをして一人で閉じる」のが安定とは別物だ、というところは、縦断の研究でも道筋が描かれています。早い時期に愛着が不安定だった人ほど、その後、人にサポートを求めることが減っていく傾向があります。そしてその「求めなさ」が、成人の恋愛関係での否定的な態度や、相手につらく当たる出方につながりやすい——そういう経路が確認されています。(参考: 10) 差し出さずに閉じることそのものが、関係のコストとして後から効いてくることがある、というわけです。逆に言えば、差し出す側に回るというのは、その経路から抜けていく動きなのです。
こじれたあとに戻れるかどうかが分かれ目
自分から差し出す側に立つ。その差し出しがいちばん試されるのは、たぶん関係がこじれたあとです。こじれたあと、戻ってこられるかどうか。ここが分かれ目だと思います。
こじれた直後に、わりと黙る人がいます。怒って言い返すわけではなくて、頭が一回固まる感じで、いったん引く。そして、しばらく落ち着いてから「さっきのことなんだけど」と、自分から戻していく。このこじれたあとの立て直し方は、関係を続けていくうえで案外大きな分かれ目になります。
ただ、この「いったん引いてから戻る」は、ちゃんと戻れているうちはいいのですが、引いたまま戻りそびれることもあります。タイミングを逃して、まあいいか、で流してしまう。引くこと自体は悪くない気もするのに、引くのと、戻りそびれて閉じてしまうのとが、自分の中では地続きで、境目がよく分かりません。この二つは、何が違うのでしょうか。
その境目が分かりにくいというのは、本当にその通りだと思います。自分の内側からは見分けがつきません。引いている最中の感覚は、どちらの場合もほとんど同じだからです。
ただ、一つだけ見分け方があります。引くときに、戻る前提があるかどうかです。「さっきのことなんだけど」と戻していけるとき、引いている間も、頭のどこかで相手とのつながりは切れていません。今は固まっているけれど、あとで戻る、という前提が残っている。これは、確かめ合いの一部としての「引く」です。間合いを取って、落ち着いてから差し出し直す。むしろ健全な動きだと思います。
一方で、戻りそびれて閉じるほうは、その前提が抜けていきます。引いているうちに、つながりそのものを手放していく感じがある。「まあいいか」で流すのは、楽に見えて、実は「もう一回差し出すのが怖い」を別の言葉で言っているだけのことが多い。戻る労力を省いているのではなくて、戻って拒まれるリスクから降りている。だから地続きに見えて、向きが逆なのです。片方は相手のほうを向いたまま引いていて、もう片方は引きながら背を向け始めている。
では、どうすれば閉じる側に転ばずにすむのか。戻るときに、立派な仲直りをしようとしなくていいのです。「さっきはちょっと黙っちゃった」の一言で十分です。完璧に整理してから戻ろうとすると、タイミングを逃して「まあいいか」に飲み込まれてしまう。小さく、早く、差し出し直す。その一回が、次に引いたときも戻ってこられる自分を作っていきます。
この「立派な仲直りをしようとしなくていい、小さく早く戻す」というところは、介入の研究とも方向が一致しています。こじれたカップルを対象にした感情焦点化療法(カップルセラピー)の研究では、関係の中の愛着の回避や不安が下がって満足度が上がる、と報告されています。特に、相手を責める側がふっと和らぐ瞬間——大げさな和解ではなく、攻める姿勢がほどける小さな転換——を通り抜けたカップルで、不安の下がり方がはっきり出ます。(参考: 11, 12) これはセラピーの場面での知見ですが、日常の小さな仲直りにも通じる方向だと思います。戻るというのは、整った謝罪のことではなくて、その小さな和らぎのことなのだと思います。
急がない人のほうが安定に近づく
現在地は、安定型かそうでないかという白黒の二択で決まるものではありません。同じ人でも、動きごとに、場面ごとに濃淡があります。0か100かで測れるものではなく、ある関わりではうまく確かめ合えていても、別の場面ではそわそわしてしまう。そういうムラを含んだものとして、自分の現在地を見てみてください。
そのうえで、よく聞く話があります。「練習すればなれる」と、最初はそう思っている人は多いものです。自分が変われた実感があると、これなら誰でもいけるんじゃないか、と思えてくる。でも、よく考えてみると、少し違うかもしれない、とも思えてきます。変われたのは、練習を重ねたからというより、たまたま確かめ合いに応じてくれる相手がいて、それに使える時間があったから。自分の努力というより、環境のほうが大きかった。そう感じることがあります。だから「すぐなれる」と言われると、どこか無責任な感じもします。
それに、「安定型になろう」と頑張ること自体が、なんだか落ち着かない動きにも思えてきます。早くこの不安を消したい、ちゃんとした側に行きたい、と前のめりになるのは、それこそ昔そわそわしていた頃の感じに近い。むしろ「すぐにはなれないし、それでいい」と思えているときのほうが、結果的に落ち着いている。この、急がないほうが近づくという逆説は、当たっているのか。
この逆説には、たしかに理由があります。しかも、芯のところに触れている話だと思います。
なぜ急ぐと遠ざかるのか。「早く安定型になりたい」という前のめりは、結局のところ「今の不安な自分はダメだ」という判定から出ています。確かめる前に、もう自分に×をつけている。でも確かめ合いは、いま不安な状態のまま、それでも小さく差し出してみる、というところからしか始まりません。だから「不安を消してから差し出そう」とすると、順番が逆になって、いつまでも差し出せない。急ぐほど、入り口が遠ざかってしまうのです。
それから、「環境のほうが大きかった」と認めること。これは無責任どころか、とても正直で、むしろ安定に近い感覚です。「自分の努力だけで変えた」と思っている人ほど、次にうまくいかなかったときに「努力が足りない」と自分を追い込んでしまう。でも「相手と時間に恵まれた部分がある」と認められる人は、うまくいかない時期が来ても、それを自分の欠陥だと即断しません。確かめ合いは相手あってのものだ、と分かっているからです。その「自分一人の手柄じゃない」という感覚そのものが、焦りを抜いてくれます。
だから、「すぐにはなれないし、それでいい」と思えているときのほうが落ち着いている、というあの実感は、信じていい。それは諦めではなく、確かめ合いには相手と時間がいる、という事実をちゃんと受け入れている状態です。急がない、というのは止まることではありません。今日できる小さな一回——線を一本引いてみる、こじれたあとに一言戻す——を、結果を急がずに重ねていく。近づこうと前のめりになるより、その一回一回のほうが、たぶんずっと早く着きます。
ここまで出てきた確かめ合いを、いちど並べてみます。相手の様子や自分の不安を「どうかな」と確かめること。「寂しかった」「こうしてほしい」と小さく頼むこと。「それはやめてほしい」と線を引くこと。そして、こじれたあとに「さっきはちょっと黙っちゃった」と戻ること。だいたいこの四つです。全部を一度にやろうとしなくて大丈夫です。読みながら「これがいちばん苦手だ」と感じたものが、たぶん今のあなたの伸びしろです。今週ためしに一回だけ、その一つを差し出してみる——それくらいの軽さがちょうどいいと思います。うまくいかなくても、それも一つの確かめになります。

この「すぐにはなれないし、それでいい」という落ち着き方は、実際のデータの形とも合っています。場面ごとにムラがある、という話のとおり、短い期間——一週間から数ヶ月くらい——で見ても、約3割の人で愛着の分類が変わる、という報告があります。(参考: 13) つまり「いつも同じ型に固定されている」わけではなく、相手や状況、直前の経験で、けっこう動くのです。
その一方で、まったくの白紙から好きに書き換えられるわけでもありません。早い時期の愛着のパターンは、成人期をある程度は予測します。ただし完全ではなく、その後の経験や環境のなかで変わっていく余地がある。そのくらいの、中くらいの予測力として報告されています。(参考: 6, 14) 土台はある、でも固定はされていない。だから「急がない」というのは、この“ある程度は残るが、確かに動く”という現実に素直なだけで、諦めとは違うのです。
しかも、自分の感情と相手との距離を切り分けて扱う力のような、土台に近い部分も、時間とともに育っていく傾向がある、という報告もあります。ある縦断研究では、別々の文化圏のサンプルで、この力が年齢とともに少しずつ上がっていくことが観察されています。(参考: 15) これは愛着そのものとは別の側面の話ではありますが、人の土台に近いところも、ゆっくりとなら動いていく——その方向の一例として読めると思います。
一人の確かめ合いでは足りない場面もある
最後に、一つだけ正直に置いておきたいことがあります。今日のような小さな確かめ合いは、あなたが小さく差し出して、相手がある程度応じてくれる——その往復が成り立つ相手との間でこそ育っていきます。逆に言えば、何度差し出しても受け止めてもらえない相手や、差し出すこと自体を責められたり、危うさを感じたりする関係では、あなたが一人で安定した行動を増やしても、消耗するだけで終わってしまうことがあります。
これは「自分の確かめ方が足りないんだ」と抱え込む話ではありません。相手や関係のほうを見直す、場合によっては距離を取る、専門家に相談する——そういう別の入り口の話です。
この線引きは、研究の知見とも方向が重なります。もともと愛着の安定性は、誰にとっても同じように保たれるわけではありません。これは主に、強い逆境や安全が脅かされるような、困難の大きい環境を調べた研究での話ですが、そうした環境では、幼い時期から成人期にかけての愛着のつながりがはっきり崩れやすく、不安定な側へ移っていくことも多いと報告されています。(参考: 16) 読者ひとりひとりの状況がそこまで過酷だ、という話ではありません。けれども、愛着のありようが、土台になる環境の揺れに対しては思いのほか脆い、という方向は同じです。だからこそ、応じてもらえない関係で一人だけ確かめ合いを増やしても、消耗するだけになりやすい。それは「確かめ方が下手」なのではなく、土台になる環境のほうが揺れているサインなのだと思います。
それから、もし「自分は場面ごとに、どのあたりにいるんだろう」と気になったら、現在地を測る診断の入り口に戻ってみてください。確かめ合いを重ねたあとにもう一度測り直すと、その濃淡の変化が見えてきます。
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